
島根県江津市。豊かな自然と穏やかな人々の暮らしが息づくこの地に、驚きの甘さを誇るトマトがあります。その名も「スパルタ生まれの笑(えみ)ちゃんトマト」。甘みと旨みがぎゅっと凝縮されたこのトマトを育てるのは、「アグリプラント甲斐の木」を運営する江津コンクリート工業の茅島辰一(かやしましんいち)さんです。
コンクリートからトマトへ。異業種からの挑戦
農業参入の背景には、茅島さんの父である現社長が大病を患った際に食べたトマトの味に感動した経験がありました。また、障害を持つ社員の高齢化に伴うコンクリート業での就労継続の難しさを背景に、より継続可能な雇用と事業を目指して始まったのが農業事業「アグリプラント甲斐の木」です。
異業種からの参入で、社員の誰もが農業未経験。「完全にゼロからのスタートでした。」と茅島さんは振り返ります。

トマト嫌いのトマト農家によるこだわり
驚くべきは、茅島さんご自身がもともとトマト嫌いだったという事実。
「酸っぱくて青臭くて、正直食べられなかったんです。でも、だからこそ“自分が食べられるトマト”を作りたかった」

「スパルタ生まれ」の理由とは
“スパルタ”というユニークな名前の背景には、栽培方法へのこだわりが隠されています。「笑ちゃんトマト」は極限まで水分を制限する“ストレス栽培”という環境下で育ちます。徹底したデータ管理のもと水を制限することで、トマトの玉が小さくなり、味が濃縮し、甘味・旨味がぎゅっと詰まったトマトに育ちます。

この特殊な栽培方法は、視察等を通して方法を学び、現在は10年以上の実績を経て蓄積されたノウハウで成り立っています。
ハウス1棟から始まった事業は、今や複数棟に拡大。江津市のスーパーだけでなく、広島・関西圏の流通、そしてふるさと納税などを通して全国各地の食卓へ「笑ちゃんトマト」が届くようになりました。
野菜作り・自然と向き合う難しさ
茅島さんたちのトマトづくりがここまで拡大するまでには、多くの壁がありました。一番の壁は、やはり自然が相手ということ。特に難しかったのは、「病気」との戦いです。どんなに丁寧に管理をしていても、想像していなかった病気で、ハウス内のトマトがすべて全滅してしまうこともありました。
さらに、直近では気候変動が激しく、毎年毎年条件が変わるので、同じやり方ではうまくいきません。これまでに蓄積したデータや経験を生かしつつ、その時の条件を踏まえた臨機応変な対応は、経験してきた人間だからこそ対策できるのです。

なぎの木テラスとのつながり
なぎの木テラスでは、オープン当初から「笑ちゃんトマト」をサラダバーで提供しています。「笑ちゃんトマト」は特に大人気で、「このトマトがどこのものか知りたい」というお客様や、オフシーズンには「あれ、トマト楽しみにしていたのに・・・」という声も。
これまでは、スーパー等の小売店への販売が多く、飲食店に直接卸す機会が少なかった中で、こうした声が生産者にも届くことは大きな励みになっていると茅島さんは言います。

現在は、まるい「笑ちゃん」に加えて、細長い形状で皮が柔らかく、後味がすっきりとした「ひみこ」トマトも栽培中。どちらも個性豊かで、食べ比べる楽しみも広がります。

障害者雇用と、多様な働き方の実現
「アグリプラント甲斐の木」では、現在約20名のスタッフが農業に従事し、うち14名が障害を持った方々。
異なる能力や特性に合わせて作業を分担し、一人ひとりの“できること”を大切にしています。「同じやり方でできなくても、違うやり方ならできることもある。だからこそ、個性を見ながら進める必要がある」と茅島さん。
決して“作業の機械化”だけで済まされない現場だからこそ、人の工夫や対話、支え合いが求められる──そんな温かくも骨太な現場の姿がそこにはありました。

江津の魅力を、トマトとともに届けたい
「作るだけでは伝わらない。美味しいトマトをちゃんと届けてくれる場所があるのはありがたい」と茅島さんは言います。だからこそ、なぎの木テラスのような場を通じて、観光客や地域の人々に生産者の想いが届くことが、新たなモチベーションにもつながっています。
「江津って、正直何があるの?って言われがち。でも、実は面白い人や美味しいものがいっぱいある。だからこそ、もっと発信力を高めてほしいですね」
厳しい環境の下で、強く甘く育つ、スパルタ生まれの笑ちゃんトマト。味の奥にある物語とともに、ぜひ味わってみてください。
